2018年6月2日(土)
今日はウェブ解析士の試験に向けてテキスト4〜8章をざっとひと通り読み直す。
6章にいたっては今日が初見。大丈夫か、おれ…。でも、やるしかない、。
ところで、ウェブ解析士の勉強をして初めて勉強カフェなるものを利用したけどこれがなかなか良い。
これまで2軒利用したことあるけど、どちらも5時間ほど利用して大体2,500円前後なので安くも高くもない価格帯だけど、いっとき利用していたコアワーキングスペースみたいな汗臭さみたいなのがなくて…w
勉強カフェでの勉強を終えたら家に帰りジョギングを5km。
体重が全然減らない。体重69キロ、体脂肪21%の壁を超えない。
目指すは65キロ、15%の細マッチョ。
そのあと、映画を観て夜にはオンライン英会話。
先週から始めて3回目のセッション。
全然言葉が出てこない。先生の質問はわかっても、自分の言いたい言葉が全然出てこない。
次のセッションではこれを言おう。この言い回し使えるな。という武器を持ってセッションに臨まないと、毎日使っていてもあまり意味がない気する。
次から頑張ろう。
今日はそんな感じ。
ブラックパンサー観た。”アベンジャーズ前夜祭”とかナメてすみません!
大変遅まきながら観てきた、『ブラックパンサー』。
都内でももう劇場上映回数もまばらになってきて、たまたま時間の合う、けど遠いユナイテッドシネマ豊洲にて観てきた。
(キッザニアの盛況ぶりがとにかく凄まじかった…)
予告編はこちら。
箇条書きに結論を先に言うと、
- シンプルにメチャクチャ楽しんだ!!!
- キャラ全員かっこよすぎるよ…
- キルモンガー演じるマイケル・B・ジョーダン最高!
- 早く『ブラックパンサー』の続編が観たい!
- ワカンダ・フォーエバー!!!
ぶっちゃけナメてました、すみません!!
正直、ブラックパンサーに対する昨年までの私的想いとしては「アベンジャーズ公開前の前夜祭的映画でしょ?」くらいに、ぶっちゃけナメていた。
控えめにいっても2018年最大の話題作であることは否定しようのない『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』の公開1ヶ月半ほど前にブラックパンサーがやる、しかもキャラ自体、スパイダーマンほど知らないヒーローの1作目。
昨年公開された3本のマーベル・シネマティック・ユニバース作品(以下MCU)のうち、『ドクター・ストレンジ』『マイティ・ソー/バトルロイヤル』が個人的肩透かしを喰らったこともあり、申し訳ないけど本作については「ん〜なんかノラねぇな〜…」と思っていた。
監督があの『クリード チャンプを継ぐ男』のライアン・クーグラー監督であることには若干の期待感を持てていた。
ただ、同作にも出ているマイケル・B・ジョーダンが出演したインデペンデント系SF映画『クロニクル』で見事大ブレイクを果たしたジョシュ・トランク監督がハリウッドに見事フックアップされて次に監督したリブート版『ファンタスティック・フォー』がまぁ批評的にも興行的にも大失敗に終わった直近の例(まぁこちらは20世紀FOX作品ですが…)もあり、いくら『クリード〜』で大規模作品でも見事な手腕ぶりを証明したライアン・クーグラー監督とはいえ、監督3作目にしてアメコミ映画はやれるのか?と資質についても勝手に心配していた。
また、『ブラックパンサー』の公開自体、ライアン・クーグラー監督をはじめ、主要キャスト、楽曲提供ほぼすべて黒人で固めた座組みの本作を、集大成である『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』の直前に公開するあたり、(いまとなっては勘違い甚だしいが非常に申し訳ないことに)黒人映画に対する作り手の期待値の低さでもあるのかな、とさえ勝手に思い、その結果「アベンジャーズ公開前の前夜祭的映画でしょ?」という完全に穿った見方をしてしまっていた。
ところがどっこい、本作が全米で公開始まると、「スターウォーズフォースの覚醒を超え、歴代No. 1のオープニング記録!」「全米歴代興行収入第4位!」など、トンデモナイ大ヒット記録であったり、本作がアメリカの映画史に刻んだ偉業ぶりを伝えるニュースが報じられ、単なる「アベンジャーズの前夜祭」という枠をゆうに超え、全米における本作の多大なる影響の大きさを感じた。
諸々家庭の事情が重なり、なかなか観に行けなかった本作だが、いざ観に行くと思わずガッツポーズし、そして「恐れ入りました!!大変楽しませていただきました!!!」
『ブラックパンサー』のここが良かった!
良かったポイント①架空の国家ワカンダがちゃんと魅力的!
まずシンプルにワカンダの慣習、文化がちゃんと魅力あるものとしてわかりやすく描かれている。観終わったら御多分に漏れず、観た人と「ワカンダ・フォーエバー!」って思わずやりたくなる。ここでちゃんと魅力掴まれただけでも、観る価値あり!だった。
日本人に馴染みない民族特有の文化(にSF的スパイスが大量投下されてる)や、王の在り方など、直近日本でも公開されたインド映画の大傑作『バーフバリ』二部作と重ねて観てしまうこともあるが、これはこれで最高。
ティ・チャラの側近、隣の民族(エムバク最高!)、それぞれがひとつの国家として脇役としてちゃんと生きているため、魅力的。
また、武器や乗り物などのガジェットに関しても、これまでのMCU作品にはなかったフレッシュなものが多く、観ていて素直に楽しい。
ただ、ガジェットに関してはMCU公開作の中では1本前にあたる『マイティ・ソー/バトル・ロイヤル』でも新しいガジェットがたくさん出てきたこともあり、新鮮なガジェットを見る、という行為そのものに若干免疫付いてしまっているためか、実はここはあまり興奮せず。
良かったポイント②実はハードな作品テーマ
ワカンダという、他国から閉じた文化自体の栄光の一方である世界の悲惨さの明暗がよくできている。
世界から見ればただの農業国に過ぎないと思われていたワカンダが、実はどの先進国よりも優れた技術を持つ鎖国国家で、自国が繁栄する一方で世界は凄惨な出来事が絶えない。
ゆえに今回のヴィラン、キルモンガー(を演じるはライアン・クーグラー監督作すべてに出ているマイケル・B・ジョーダン!)の出自は観ていて居たたまれない想いになる。
彼の行動そのものは非常に過激ではあるものの、これまでのMCU作品のヴィランと比べても、行動の裏には実はハードな現実との対峙という、悲しいベースがあり、作品テーマとも見事にマッチしている。
ティ・チャラ国王=ブラックパンサーは自国の技術力を”武力行使”としてではなく、平和的協調の手段として世界各国に普及させることで真の意味で世界に開けた国家を目指した方が良いのでは、と考えるのに対し、キルモンガーは世界の痛みを知っているからこそ圧倒的暴力による解決しかないと考える、まさに表裏一体の関係を見事に体現している。
良かったポイント③これまでのMCUヒーローとも異なるヒーロー像
MCUヒーローでイチ国家の王、というとマイティ・ソーをつい連想させられる。
自身の理念をどう世界と向き合わせるか、というテーマ自体はキャプテン・アメリカ=スティーブ・ロジャースとも似ている。
また、技術力の高い自国の資産≒武力を世界の平和のために如何に使うか、というテーマ自体はアイアンマン=トニー・スタークとも通じる。
ソーとスティーブとトニー、そしてティ・チャラ。
それぞれ置かれる立場も出自も性格も全く異なるため、その立場によって描かれるドラマは当然異なるが、MCUがこれまで描いてきたこれらテーマ、功罪について、真の意味で平和的に推し進めていくためにも、ブラックパンサーの次回作以降立つべき場所はより重要になってくると思う。それは、悲しいことに人種差別がいまなお根付くアメリカ史における現在とも重なる。
だからこそ、アメリカで本作は記録的大ヒットとなっているのかな。
ソー三部作は作品毎にカラーの振れ幅が激しすぎるシリーズのため、上でも少し触れたとおり、『〜バトルロイヤル』のときには、ソーというキャラ自体にもシリーズ自体にももはや若干食傷気味になっていた。
また、アベンジャーズのメインストーリーに大きく絡むコトの多いキャプテン・アメリカ三部作、中でも『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』は、(作品テーマ上、仕方ないとはいえ)MCU世界のインフレを崩し、取り留めもない所にまで行ってしまった。
その点、ブラックパンサー=ティ・チャラが劇中最後に示した、世界に開けた姿勢は、これまでMCU作品が抱えてきたテーマに対し、ヒーローである前に国王である彼ならではのメッセージが込められており、思わずグッと来た。
と、同時に、この決断を下したということは、次回作以降、どう世界と向き合っていくのか、本当の意味で王としての資質が問われ始める展開が予想され、否が応でも次回作への期待を高まる!
ついに間もなく公開予定の『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』でも、劇中最大のバトルとなるであろう舞台はワカンダっぽいのでこれも楽しみー!!
てな訳で一応『〜インフィニティ・ウォー』の予告編貼っておきます。
ナメててホントすみませんでした!ワカンダ・フォーエバー!!
AIによって労働が失われる未来を妄想【学校教育編①】
※本来であればしっかりと裏付け材料となる情報をちゃんと調べて書くべきかもしれませんが、まずは自分の頭の中に日々溜まったインプットの整理として、最近のニュース等を見て思ったことを散文的に述べた妄想を以下に記します。
「AIによって労働が奪われる」という声はよく聞く。
学校教育の現場においても、AIによって最適な学習指導要領とそれに紐付く学校カリキュラムが作成され、生徒一人ひとりの学習履歴と習熟度がデータ可視化され、正確かつ質の高いフィードバックを生徒とその保護者に提示することができるようになると言われている。
生徒一人ひとりにより正確な助言がAIによって為されるのであれば、自分が学生のころに比べてそれは魅力的に見える。
ただ、そのような教育が当たり前の世の中となれば学校は先生による教育の場ではなくなり、ひとつのコミュニティに過ぎなくなってくるように思える。
また一方でコスト観点で見ると、従来の紙印刷式の教科書からタブレット上のアプリ教材にリプレイスされることによって学習用教材の調達コストが削減でき、かつAI導入によって教職員の無駄な長時間残業の減少や、さらには教職員の雇用者数削減ができるかもしれない。
ただ、ひとくちにタブレットを導入するといっても、たとえば小学校全生徒6年間のリース保守費用であったり、学校のネットワーク環境維持、生徒一人ひとりの情報漏洩を防ぐためのセキュリティ監視など、IT関連の運用保守経費が増大に膨れ上がることが予想される。
なにしろ、当たり前のように政府は「20◯◯年までにタブレットを生徒全員に無償配布する」と云っているが、その端末配布の対象者というのは何を隠そう、自分の時代にはリコーダーはスターウォーズのライトセーバー代わり、そろばんはスケボー代わりにするのが日常茶飯事だったようなヤカラ=小学生である。はっきりいって6年の間に何度端末取り替えが発生することやら。
これまでの学校教育ではなかった新たなITコストを、特に公立学校では負担できるのだろうか。
これらコスト面のリスクをふまえても「学校教育の現場にAIを!」と、意気込み導入しようにも、学校、特に公立学校の場合は、国・都道府県・市区町村の予算=国民の税金をもとに学校運営費に回しているため、そう簡単に組織的意思決定のもと、Goは出せないと思われる。
Xtech関連のニュースが何かと話題の昨今だけれど、EdTech(Education✖️technology)は特に学校教育の現場においてはなかなかスケール化しにくい、と聞いたことがある。
AIを活用した、教育の素敵な未来予想図は、私立学校や通信教育等の民間事業においては一定程度の実現性はあるかもしれない。
ただ、公立学校は税金によって運営されている訳だから未来予想図は地に足ついた内容となっていないとGoとはならないように思われる。
もし実現されれば自分が学生だったころとは比較にならないほどの質の高い教育が可能になることは間違いない一方でコスト面で課題を感じる今日この頃。
仕事で最近思う、インプットとアウトプットを繰り返す大切さについて
仕事をしていてふと、思うことがあった。
※先に断っておくと、自分自身も仕事ができている側とは言い難い立場にいる。
仕事ができる人は自分の中でゴールに向けたロジックを持っていて、それを周囲の関係者に言葉で共有できる。
仕事ができない人は特定の目的に対し、自分の中にロジックがなく、伝えるべきメッセージに一貫性のない共有をしてしまう。
たとえば以前、上司のレビューから自席に戻ってくるなり浮かない表情の後輩Aさんに「いまAさんが直そうとしている成果物について、上司からはなんて指示を受けたの?」と質問したことがある。何気ない会話。
そこでAさんは上司からの指示内容についてかいつまんで説明し、修正作業に取り掛かった。
数時間後、AさんはPCの前で明らかに苦悶の表情を浮かべており、改めてまったく同じ質問をしてみた。
すると、先ほどとは違う答えが返ってくる。
Aさんはこの数時間、上司から再レビューなど受けてないにもかかわらず、煮詰まり何度も何度も成果物の修正方針を考えるあまり、こちらから同じ質問をしていても、自分の頭の中に記憶する上司からの元々の指示のニュアンスがガラリと変わってしまっていたのだった。
こんなとき、上司から受けたレビュー内容の理解にブレが無いか確かめるため、レビュー時のメモを読み返す、レビューに同席した同僚がいればその人と認識合わせをする、等やり方は様々ある。
今回のレビューの際、Aさんはそもそもほとんどメモを取っていなかった。
ゆえに完全に自分の記憶頼みとなり、結果として元の指示内容から逸脱したニュアンスで捉えてしまった。
ただ、この手の出来事は自分だって起こりうる。
大事なのは、相手から何を求められたのかをできる限り正確に理解し、情報を整理し、成果物に結び付けるコトである。
そのためにも、インプットする情報は普段からきちんとメモを取ること。
メモを取るものは手帳でもノートでもタブレットでもいい。
メモを取っていれば、成果物に取り掛かる前、そして作業途中で悩んだタイミングでメモを読み返すことで、自分の対応方針に間違いが無いか確認できる。
インプットが間違いなければ(内容にもよるが)自ずとアウトプットも、上司の期待する方針とそうズレることはなくなり、回答に、成果物に一貫性が出てくる。
仕事ができる上司たちが自分の対応に常に何かしらロジックを備えているのは、スタートラインとして、必要十分なインプットが出揃っているからではないか。
そう思うようになって来た。
仕事をする上でこういった所作について普段、あまり言われるコトがないけれど、基本スキルとして大切なコトだよな、と思った2018年度最初の出社日であった。
2018年4月1日について
2018年4月1日。
4月1日といえば年度が切り替わり、新しい期を迎える。
年越しとはまた違う感慨を抱く季節。
この4月をもって社会人なって6年目を迎える。
転職していまの会社で3年目。
夫婦になって2年目。
仕事面においては、学生時代にイメージしていた社会人像とは思いがけない姿になっていると最近感じる。
学生のころは、サラリーマンになるのであれば、社会人5〜6年目といえば仕事もかなり慣れ、下には部下が何人もいて、ときに後輩を励ますリーダーとしてバリバリ働く"イケてる"サラリーマンになっていると思っていた。
ところがどっこい。
ありがたいことにどの現場に行っても後輩や同僚にときに頼られ、任されながら仕事しているが、最近、なんとなく”若手”の域を抜け出せていないように感じることがある。
ぼんやり思い描いていた”イケてる”サラリーマン像とのギャップはどこにあるのか。
そのギャップとは、大雑把にいえば自分が「圧倒的な”即戦力”であるかどうか」だと思う。
ここでいう”即戦力”とは管理者層から「◯◯(=主にスキル面)のコトといえば、あいつだろう」と名前が挙がるような状態を指す。
自分が属すITの世界において、「このプログラミング言語のことならAさん」「◯◯ツールといえばBさん」と名前が挙がるのは、その人が持つ専門的知識の高さゆえの、まさに即戦力。
そういう人は引っ切りなしに新しいプロジェクトの話が舞い込むし、そこからまた新しい経験を積んでいく。
その点自分は、日々信頼して仕事を任せていただいているものの、「〜といえばあいつ」と筆頭に名前が挙がる程のスキルが足りない。
これまで、開発経験がないまま、PMOとしてマネジメント系の業務ばかり経験を積んでいた。
たしかに、それが縁でプロジェクト管理やリスク回避の勘どころなど、経験が活きる場面は多々あったものの、ITの世界に身を置く以上はやはり少しでも経験が必要、知識が必要だな、と痛切する日々です。
入籍して丸1年。
まがいなりにも一家の大黒柱として、今後も家計を背負っていくためにも改めて背筋を正さねば。
そんなことを思う、2018年4月1日でした。
はてなブログ始めました
はてなブログでブログを始めてみました。
ここ3年の間に転職、職場異動、結婚、引越し等、様々なライフイベントを経験していく中で仕事しかり、家のことをしかり、趣味しかり、日々、自分自身が吸収し続けているインプットを正しくアウトプットできているのか、ということを漠然と思うようになった今日この頃。
雑記でもいいから、自分自身の振り返りも兼ねて日記を書こうかな、とそう考えたときに行き着いたのがはてなブログ。
おそらくは趣味の映画鑑賞後のレビューが結果的に多くなってしまうかもだけど、あまり範囲を限定せず、日々感じたことを言葉にする訓練の場として、はてなブログの利用を始めてみようと思います。
まずは脱・三日坊主!
どうぞよろしくお願いします。