個人的PDCA回す日記

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AIによって労働が失われる未来を妄想【学校教育編①】

※本来であればしっかりと裏付け材料となる情報をちゃんと調べて書くべきかもしれませんが、まずは自分の頭の中に日々溜まったインプットの整理として、最近のニュース等を見て思ったことを散文的に述べた妄想を以下に記します。

 

「AIによって労働が奪われる」という声はよく聞く。

 

学校教育の現場においても、AIによって最適な学習指導要領とそれに紐付く学校カリキュラムが作成され、生徒一人ひとりの学習履歴と習熟度がデータ可視化され、正確かつ質の高いフィードバックを生徒とその保護者に提示することができるようになると言われている。

 

生徒一人ひとりにより正確な助言がAIによって為されるのであれば、自分が学生のころに比べてそれは魅力的に見える。

ただ、そのような教育が当たり前の世の中となれば学校は先生による教育の場ではなくなり、ひとつのコミュニティに過ぎなくなってくるように思える。

 

また一方でコスト観点で見ると、従来の紙印刷式の教科書からタブレット上のアプリ教材にリプレイスされることによって学習用教材の調達コストが削減でき、かつAI導入によって教職員の無駄な長時間残業の減少や、さらには教職員の雇用者数削減ができるかもしれない。

ただ、ひとくちにタブレットを導入するといっても、たとえば小学校全生徒6年間のリース保守費用であったり、学校のネットワーク環境維持、生徒一人ひとりの情報漏洩を防ぐためのセキュリティ監視など、IT関連の運用保守経費が増大に膨れ上がることが予想される。

 

なにしろ、当たり前のように政府は「20◯◯年までにタブレットを生徒全員に無償配布する」と云っているが、その端末配布の対象者というのは何を隠そう、自分の時代にはリコーダーはスターウォーズライトセーバー代わり、そろばんはスケボー代わりにするのが日常茶飯事だったようなヤカラ=小学生である。はっきりいって6年の間に何度端末取り替えが発生することやら。

 

これまでの学校教育ではなかった新たなITコストを、特に公立学校では負担できるのだろうか。

これらコスト面のリスクをふまえても「学校教育の現場にAIを!」と、意気込み導入しようにも、学校、特に公立学校の場合は、国・都道府県・市区町村の予算=国民の税金をもとに学校運営費に回しているため、そう簡単に組織的意思決定のもと、Goは出せないと思われる。

 

Xtech関連のニュースが何かと話題の昨今だけれど、EdTech(Education✖️technology)は特に学校教育の現場においてはなかなかスケール化しにくい、と聞いたことがある。

AIを活用した、教育の素敵な未来予想図は、私立学校や通信教育等の民間事業においては一定程度の実現性はあるかもしれない。

 

ただ、公立学校は税金によって運営されている訳だから未来予想図は地に足ついた内容となっていないとGoとはならないように思われる。

もし実現されれば自分が学生だったころとは比較にならないほどの質の高い教育が可能になることは間違いない一方でコスト面で課題を感じる今日この頃。